色について、言いそびれた事、もっと話したかったこと、山ほどあります。
ほっといたら、あのまま5時間くらい喋ってしまったかもしれません。
八ツ墓村の撮影に使った、あのお屋敷はある”色”の原材料で大儲けした人の家だよ!とか
ジョットの遺体らしいものを発掘して調査したら、骨が鉛とヒ素に犯されていたということや・・・
水銀朱を作る過程が、まんま錬金術なこととか・・・
ゴーギャンとゴッホが揉めた理由の一つに、補色を押すかどうか、だった話とか・・・
色と絵具の話は本当に話が尽きないのです。
それも、次回、話せると良いですね。
【どうして学校で習わないのか?】
今回は、どうしてこういう話(構図の見方とか)を学校で教えないのか?という質問に
簡単に答えておきたいと思います。
まず、日本の美術関係の教育の問題のこじれは、明治維新の頃に端を発するのです。
そもそも、美術という用語だって、明治の初期にウィーン万博関連で
なんとか訳した新しい言葉です。それ以前の日本には無かった概念。
急いで整備した分野でもあるけど、内ゲバのような問題も起こしてしまった・・・。
それが、今に至るまで歪みを残している。
現在、大学における美術の教育は、三か所でバラバラに行われています。
美術史→文学部
美術教育→教育学部
美術の実技→美術大学
これ、私は日本に帰るまで気づきませんでした。
私はテキサス大学という”総合大学”の美術学部出身で
その中に、美術史・美術教育・美術の実技、の三学科が全部一か所にあったからです。
私は大学では、美術史・美術の実技の両方を専攻(BFA)し、大学院で美術史(MA)を専攻しました。
美術教育のクラスも普通に同じ建物で受けていました。
(この点については、後でまた述べます。)
まして、日本では美術の実技を”総合大学”で学ぶことは、ほとんど無理だと思います。
せいぜい、教育学部の特美くらいでしょう。
美術の実技は、美術系の学校という特殊な箱の中で行われていて
総合大学の中に美術学部があるなんて、よほどの例外です。
アメリカの大学では、むしろ当たり前にある学部なのです(アメリカかぶれで嫌な表現ですがあえて書いています)。
一方、普通教育の現場で美術を教える先生は、例外もあるでしょうが教育学部の出身です。
日本の美術教育は、美術家の育成(美術大学)とは別の、ガラパゴス的発展を遂げたと指摘されています。(私だけが指摘してるんじゃなくて、筑波大学の先生らが指摘されています。)
ということで、美術の現場と、普通教育の現場の乖離が起きている。
どういう事かというと、学校で習うことと、メディアに出てくる有名なアーティストの作品とが
全然違うという事態が起きている。
たとえば、学校では「絵具をチューブから出したのをいきなり塗るな」なんて習う。
しかし、超高額で落札される芸術家の作品が、明らかにチューブから出したものをキャンバスに投げつけたようなものだったりする。
学校では、他人の作品を模写しただけで作品とは認めてもらえない。
まして、有名作品にヒゲなんか描いて提出したら怒られる。
でも、実際にはそういう事で有名になった芸術家が山ほどいる。
子供も混乱しますよね。あれ、いいの?でも学校ではダメなの?と。
それを先生が説明できるほど、学史に通暁しておくのは現実問題として難しいと思います。
この乖離が、何故学校で習わない?という事態を生んでいるのです。
仕方ないんです。
それぞれの世界が、それぞれ利害でもって自律的な発展をしたなれの果てです。
【抑圧理論の影響】
学校で習わない理由は、まだあります。
戦前の型にはまった抑圧的な教育への反動です。
言ってみれば、構図についてとか、配色の理論などは、型と言えば型です。
もちろん、大事な型なんですが・・・
専門知識なんて、自由な発想の開花には関係ない、ってなもんです。
羹に懲りてなますを吹く、です。
結局、王政時代のフランスのアカデミーが教えていたことの形骸化した断片みたいなものを
学校で教えてしまっていたのですが。
(注:学校教育の名誉のため、最近では、改善を試みる様々な運動があることを述べておきます。)
【専門家の絶対的な不足】
最後に、美術史の専門家の絶対的な人員不足があります。
当然、人数が少ないから、彼らが美術史の学問の成果を他の学部の人たちに広めるまで
なかなか進まないのも、やむをえないのかな・・・と思っています。
先に、美術の3分野を学ぶ学科が、日本では三か所に分かれているといいました。
それがアメリカでは一つの学部であると。
違いはそれだけではありません。
教授陣の絶対数が圧倒的に少ないのです、日本の美術史学科は。
私が行ったテキサス大学の、美術史の教授は25人くらいいました。
25人ですよ、25人。専属で、です。フルタイムの、教授・准教授が、です。
メソポタミア専門(私の先生)、ギリシャ・ローマが数名、ビザンツ専門、日本の版画専門
日本のアニメ専門、近代フランス美術専門、ラテンアメリカ美術専門、
古代マヤ美術専門、イギリス風景画(そんなものまで!)
美術の研究手法の変遷史の専門、などなど、各分野のエキスパートが1~3名づつくらい”専属”でいる。
美術教育も、12~3人。
実技にいたっては、数十人、インストラクターをいれたら100人近かった。
美術史の教授は、美術史学科の所属が25人ほどで
建築史の先生は建築学科にいたし、各地域の美術の専門家は
各地域研究の学科に所属の人もいましたから、実質、美術史の講座を受け持つ教授の人数は
30人以上いました。珍しいことじゃありません、これが標準装備。
一方、東京大学の美術史は専属が3人。
3人ですよ!非常勤的に、他の大学からときどき講義に来てもらう人が
数人いる、という事ですが・・・
古代から現代にいたる膨大な美術作品を扱う分野で
数名では専門特化した領域を教えることだけでいっぱいいっぱいで
広く全般的なことを教えるのは難しいと思います。
東京芸大がもっとも多く、7~8人いますが、これでMAXです。
でも、このうち多くが東洋美術の専門家です(超ハイレベルな方々)
ということは、西洋美術の特定の分野とか、西洋美術の実技に関すること
西洋美術の学史となると手薄になっても仕方ない。
なにぶん、一人の肩に乗るものが多すぎる。限界があります。
基本、日本の大学の美術史学科は、教授は3人もいればいい方。
そういう状況です。
この状況で、どうやって専門家を十分に供給できるでしょう・・・この状況なのに
日本の美術の専門家は本当にレベルが高く、凄いと思います。
とにかく、人を養成する機関が手薄だし
美術史なんか専攻したくいっぱぐれると恐れる人も多いし
その割に、美術史は学際的で学ぶことが多すぎる分野だしで
もう、そら、無理っすよ、ってな話です。
少し話が逸れますが、ついでに書いておくと
美術史を勉強したい、という方にお会いすることもあるんですが
こういう状況があって、美術史を学ぶのが難しいというか、人数が少ないんで・・
学びたい分野を相当にピンポイントで決めて、その先生のところに行かないと難しいよ
という事をお伝えしたいです。
【どこで習えばいい?私のところに来たまえ(笑)】
ことほど左様な状況で・・・私が講座で話しているようなことは
あんまり聞く機会がない事になるんです。
実技的な内容と美術史の基礎との両方を合わせた内容だからです。
本当のところ、全体像を見渡すような話は大御所がするもんですが
大御所は忙しいし、日本の若い研究者は優れているのにとても謙虚だから憚っている。
ということで、私に出来る事はあるかな?と思案して
分かりやすく、面白いところを話してみてはどうだろう、と思い至ったのです。
みんなが専門家になりたいわけじゃない。
だから専門知識を、ただ横流ししても仕方ない。
むしろ、そういう手間を省いて、専門外の人が知りたいところをかいつまんで
段取りよく説明してみたい、そういう衝動に駆られています。
出来ているかどうかは別として、そういうところを目指しています。
エッセンスみたいなもの、他の分野とも通底する何か・・・そういうものを取り出して
聞く人、読む人がすでに知っていることを元に、理解できるような
そして自分が知っている世界を見るときにフィードバックできるような
そういう伝え方を目指していきたいと思います。
想いが強すぎて、言葉が多くなってしまいましたが
もう少し段取りよくお伝えできるように、さらに精進していきたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。