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名画の色を見る

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今月末の『絵を見る技術:名画の色彩編』が

ありがたいことに申し込み多数です。

http://peatix.com/event/272392/

 

皆さんのご期待を、心地よく小気味よく裏切りたい想いで準備中です。

 

名画の色の話って、どうせ、あんな話するんでしょう?

と、当てに来ている人が、「むむっ!こう来るか?!」と思うような

そういう話をしたいんですが、今ここでハードルを上げてしまって私は大丈夫でしょうか。

 

前回(第二回)の構図編は

我ながら、おそらく「聞いたことない!凄い!」と思っていただいたと思います。

本当は、もっと突っ込んだ話をしたいのですが

二時間という時間の限界で、分かりにくい点があったのじゃないかと

反省点も残りました。

 

それを反映したのが、先月やった目線と力学の話。

聞けば納得、見れば納得の話で

聞いた人たちは、ものすごく満足して帰ったと信じています、きっと、たぶん・・・。

 

特に、ネロとパトラッシュが死ぬ間際に見た絵を

あそこまで抉って抉って抉った話は、日本初かもしれません。

 

次回ご紹介する名画は、超有名で、教科書に頻繁に載るか

各美術館の目玉レベルの作品で

極力、近年に化学分析がなされたものにする予定です。

 

出来る限り、第一回・第二回に来られた方が、重ねて来た甲斐があるチョイスもしたいし

先月末の目線や力学の話を聞いた人が、あの絵は前回扱った!と思うような

そういう展開も工夫しようと思います。

 

次回に申し込んでくださった方、ありがとうございます。

きっと、ご期待に沿えると思います。

さて、何の話をするんでしょうね?

 

 


禁断の色~漆黒の象牙色、ヴェルベットの艶~

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『見る技術~名画の色編~』を来週に控え

少しばかり色についてお話を書いてみようと思います。

 

ちょっと気おくれしそうな人数のお申込みを頂いて

ありがたいやら、お話する内容を改めて吟味しなおしています。

 

そこで、たぶん当日は話さないけど、面白い話をひとつ。

 

絵具の中には使われなくなったものが沢山あります。

そんな絵具の一つについてのお話です。

 

【禁断の色】

 

使用できなくなった色の中には

鉛白など鉛を使っていて毒だから、とか、オーピメントのようにヒ素を使っていて凄く毒だから

などもあります。

また、たぶん大丈夫だけど硫化水銀だから、場合によってはすごく毒だから使用を控える方向に

なっているのがヴァーミリオンとか。

 

中には、原材料の取引が禁止されたから、というものがあります。

その名もアイヴォリー・ブラックという黒色の絵具。

象牙を炭にしてすりつぶしたものです。

ご存じのように、象牙の取引は禁止されています。

象牙のために、沢山の象さんがいわれない殺され方をして

ほぼ絶滅の危機に瀕しているからです。

 

動物の骨などを原料とする絵具は、アイヴォリー・ブラックだけでなく

動物の骨一般を原料とする、ボーン・ブラックという骨を炭にした絵具があります。

 

そもそも、象牙と他の動物の骨は何か違うんだろうか?と、私は思ったのであった。

 

絵具の成分分析の報告書を読んでいると

”ボーン・ブラックもしくはアイヴォリー・ブラック”と記載されていることがよくある。

どちら、とは書いていないのだ。

区別つかないの?

【象牙の炭は他の骨の炭と何が違う?】

 

私がずっと気になっていたのは、この象牙から作る黒い色の絵具が

ボーンブラックと成分上、何が違うのか?ということです。

 

絵具の本を読んでいても、どうも、どちらも『粒がきめこまかい』とか

海綿状で多孔質だとか、リン酸カルシウムが主成分だ、とか、そういう事が書いてある。

それは、ボーンブラックでもアイヴォリーブラックでも共通すること。

 

絵画の絵具成分分析の報告書も、どれも”ボーンブラック”もしくは”アイヴォリーブラック”としています。

どっちか明示していない。

 

絵具を直接見たってわからない。

どっちも凄く黒、にしか見えない。

 

もしかして、区別つかないの?とちょっと思いました。

 

でも気になる。

この一週間くらい、暇をみつけては、ボーンブラックとアイヴォリーブラックの

成分上の違いはないのか?と私は悶々としていたのです。

 

見つけました。

van Loon, A. (2008). Color changes and chemical reactivity in seventeenth-century oil paintings.

https://pure.uva.nl/ws/files/4280241/53051_08.pdf

アムステルダム大学のレポジトリーで見つけたのですが

ボーンブラックの変色についての論文です。

Pieter Soutman Triumphal Procession with Gold and Silver, 1648

という絵の黒い絵具が、ボーンブラックか、アイヴォリーブラックか、という議論が出てくるのですが

・・・

 

【マグネシウムの含有量が、骨の二倍】

 

*ボーンブラック

マグネシウム:カルシウム=1:18

 

*アイヴォリーブラック

マグネシウム:カルシウム=1:8

 

ということだったのです!

アイヴォリーはマグネシウムが多いんだね!それがどう色に影響するのか

何も分からないけど!!

 

分かってよかった!ちなみに、上記の論文が扱った作品の絵具は

ボーンブラックでした。

 

特に、この成分についての話は、以下の論文に詳しくあります。

Freund, A., 2002, ‘On the occurrence of magnesium phosphates on ivory’, Studies in Conservation 47, pp. 155-160.

http://objektrestaurierung.abk-stuttgart.de/wp-content/uploads/2013/11/Magnesium_phosphates.pdf

 

 

だから何、って話ですが・・・

妙にすっきりして感動したので、ここでお伝えします。

 

ちなみに、黒なんて塗ったらなんでも一緒じゃないか?と思うかもしれませんが

白や他の色と混ぜたときの色合いが、青みが強かったり、ニュートラルだったり

黄色がかっているなどで、中間トーンの色調に大きな影響を与えます。

 

また、チャコール(植物由来)と比べて、ボーンブラックは粒子が小さく、それが

色の艶となって影響します。このあたりの話は、当日もするかもしれません。

 

そういうことで、良かった!区別つくんだね、アイヴォリー・ブラックとボーン・ブラック!

良かった!すっきりしたよ!!

 

しかし・・・黒の画家レンブラントは、いったいどの絵のどこにアイヴォリーブラックを使ったのか、単なるボーンブラックだったのかは、また別のお話。

今のところ、レンブラントの専門書を読んでも、報告書を見ても

”ボーン”もしくは”アイヴォリー”ブラックとしてあるだけなのです。

今後の調査に期待。

名画の色の秘密【7月26日開催】 補足編

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7月26日にビジネスエアポート丸の内で開催しました

『絵を見る技術:名画の色の秘密編』の補足編です。

 

当日ご参加いただいた皆さん、本当にありがとうございました。

発言くださった方、感謝です!助かります!

もっとじゃんじゃん突っ込んだり、私が話している途中でも

質問とかして大丈夫です。次からは是非どうぞ。

 

参加したかったけど都合が合わなかった方。

次回開催、という事だけ決定しています。

次は、前回の構図と今回の色を組み合わせて、2~3枚の絵を

ゆっくりと見ていく復習編です。日程は決まり次第、追ってまたご報告します。

 

いくつかの質問と、リクエストを頂きました。

 

額縁と絵の関係をもう少し聞きたい、それで一冊作ってはどうか?

(参考までに以前の記事です 額縁効果で見え方が変わる①

工房の弟子たちはどうやって彩色を学ぶのか?

ゲーテのニュートンへの反論からヴィトゲンシュタインの色に関する論点などなど・・・

前回からの質問ですと、どうしてこれを学校で習わないのか?などなど・・・

 

少しづつ扱っていきたいと思います。

では・・・今回は、私が忘れないうちに補足しておきたいこと、と参考図書のご紹介です!

 

言い忘れたことで、忘れないうちに書いておきたいこと

 

まず、私の方から強く言いたいのは

ユニコーンカラー来るよ!というか、来てるよ!来てる!

これは青みのパステルカラーの組合わせです。

あれ、これ、あんまり響かなかった?!ですか?!

マイ・リトル・ポニーな配色です。

 

この色、小学校のさくら絵具のセットでは出せない色(黄みの色ばかり)なので

女の子たちは図画の時間にため息をつくのではないかと心配。

学校では自然などを写生させることが多いので、

黄みの強い色の絵具セットが用意されています。

人工的なカラーリングの青みの絵具が入っていないんです。

 

黄みの絵具をいくら混ぜても、どうしたって、マゼンタなピンクやミントグリーンは

作り出すことは難しいですね。

私も小学生のとき、何故ミルキーでサイバーな色(つまり青みのパステル)にならないのか

絶望的な気分になったのを思い出しました。

ぜひ、青みの絵具セット(茶色ゼロで、青み黒を充実させたオペラピンクなどを取り入れたセット)を

キッズ用に作ってほしいものです。

 

青みの色は、総じて都市・近代の色です。

絵画でも、主な色として扱うようになるのは19世紀以降が中心ですね。

このユニコーンカラーも、いかにも現代的な色の組み合わせということです。

色に関するおススメの本のご紹介&サイトのご紹介

 

リクエストにはおいおい答えるとして、おススメの本を紹介しておきます。

 

*青の民俗学的な歴史を知りたければ、コレ!

 

『青の文化史』 ミシェル・パストゥロー

https://www.amazon.co.jp/%E9%9D%92%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AD%E3%83%BC/dp/4480857818

 

*赤い染料”コチニール”をめぐるヨーロッパ人の苦闘の歴史を知りたければコレ

 

『完璧な赤』 エイミー・グリーンフィールド

https://www.amazon.co.jp/%E5%AE%8C%E7%92%A7%E3%81%AA%E8%B5%A4-%E6%AC%B2%E6%9C%9B%E3%81%AE%E8%89%B2-%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%A8%E5%AF%86%E5%81%B5%E3%81%A8%E5%A4%A7%E8%88%AA%E6%B5%B7%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%BC-B-%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89/dp/4152087706/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1501415185&sr=1-1&keywords=%E5%AE%8C%E7%92%A7%E3%81%AA%E8%B5%A4

 

*日本画の絵具の真実を知りたければコレ!

 

『日本画の材料:近代に創られた伝統』 新井経

https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%94%BB%E3%81%A8%E6%9D%90%E6%96%99-%E8%BF%91%E4%BB%A3%E3%81%AB%E5%89%B5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E4%BC%9D%E7%B5%B1-%E8%8D%92%E4%BA%95-%E7%B5%8C/dp/4864630348

 

*美術の色について包括的な本

 

"Color and Cultrue: Practice and Meaning from Antiquitey to Abstraction." John Gage.

https://www.amazon.co.jp/Color-Culture-Practice-Antiquity-Abstraction/dp/0520222253/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1501415438&sr=8-2&keywords=john+gage+color

 

日本語のものがあればいいのですが、この先生の本以上に包括的なものはないように思えます。

 

*名画の色の詳しい分析内容について知りたい場合

 

イギリスのナショナルギャラリーが無料で公開している

Technical Bulletin

https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/research/technical-bulletin

 

こんな内容がインターネットでいつでもどこでも読める、素晴らしい時代です。

分析方法から、分析内容、修復の来歴など、あらゆる絵画の技術的な内容についての

研究・調査報告書です。

最近では他にもいろんな調査機関が内容を公開しているので、たまにチェックすると面白いですよ!

 

*ファン・アイク 『ヘントの祭壇画』 修復プロジェクトHP

 

修復プロジェクトまっさかりのヘントの祭壇画、どうなっているのか

ディテールまで見せてくれる嬉しいサイトが出来ています。

http://closertovaneyck.kikirpa.be/#home/sub=teaser

 

今回はこれくらいで!

 

では改めて、ありがとうございました!

ぼちぼちですが、ご質問に答えていきますので

生暖かい目でときどこ見てください、宜しくお願いします。

名画の色の秘密~補足編 額縁①~

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絵を見て額縁を見ず。

額縁を意識して見たこと、ないですよね?

 

額縁の影響力に気づけ!

 

多くの人は額縁なんて意識していない。

しかしながら、気付かないうちに額縁に大きく影響を受けています。

 

ルノワール 『たまねぎ』 1881 *注 https://theframeblog.com/tag/renoir/

 

立派な額縁に入っていると、立派な感じがするんです。ほんとに。

玉ねぎだって、このバロック調(模様のCカーブが特徴)の素敵額縁に入れば

やんごとない御玉ねぎ様に。

 

これは、ちょっと過剰演出気味ですけどね。


額縁は空間と絵をつなぐ大事なものなんだ!!

この絵、素っ裸にしたら、↑これです。

もちろん、これも可愛いですけどね。

では、↓と比較してみてください。

アマゾンで適当にみつけた、適当な額縁入りのやつです。

 

この額縁に入っていたら、たぶん、印象派展はそこまで人が入らないと思う・・・

という指摘は、私だけではなく、額縁の専門家も真剣に打ち出しているものです。

 

上側が現在、絵が収まっている額縁で、下側が当初の額縁を再現したもの

 

実際、印象派が当初人気が出なかったのは、画風が受けなかっただけでなく

このようなシンプルな額縁(下側のタイプ)に入れて展示していたことも

拒絶反応を生んだ要因ではないかと考えられています。

 

私たちはシンプルな額縁に慣れていますが

印象派の時代には、ありえないくらい飾りがスカスカで貧乏くさく見えたようです。

さらに悪いことに、当時のインテリアに全くそぐわなかった。

 

結局、印象派が売れたのは、画商が気を利かして当時のお金持ちの邸宅に合うような

アナクロで豪華な額縁(最初の写真みたいな)に入れて魅力的に見せたから。

画家たちは不本意だったかもしれませんが。

 

それだけ、お部屋と絵と額縁のコーディネートは大事なんですね。

額縁のデザインとインテリアのデザインがマッチしないと

どんなに素敵な絵でも、ぱっとしないんですよ、これが。

 

じゃあ、どうしたらいいのか?この点については、また後日あらためて説明したいと思います。

(出来なかったら・・・どっかで話す機会が設けられたら・・・と願います)

 

額縁に騙されてもいい、そういうものだから

 

たとえば、美人を見ているとき、あなたは彼女の髪型を意識して見ていませんが

大抵の場合、美人に見えるような髪型をしているから、なんとなく美人に見えるんです。

そして、雰囲気イケメンといわれる人種は、大抵はイケメン風の髪型で誤魔化しています。

 

そんなもんですよ。

でも、プレゼンテーションってそういうものだし

そういう姿勢は大事だと思うんです。

なんでも関係性で成り立っているし、文脈は大事です。

 

だから、額縁に騙された(髪型に騙された!)ではなく

本来、それもコミコミのものだと認めておくしかないでしょう。

 

それだけ、額縁は意識しようとしまいと、その中に入っている絵の印象を

決めてしまう力があるということでもあります。

さらに広げたら、絵がある空間(部屋)の雰囲気も、絵の印象に大きく影響しますね。

つまり、ルーブルとかあぁいう有名美術館は、雰囲気が飾ってる絵と合ってるから人気が出るわけです。

 

 

ということで、今回は額縁と色の関係についてお話する前に

額縁の効果とか役割について知っていただきたくて

こういう事を書きました。

額縁の話をしだすと、額縁だけで講座をまるまる一回使って説明したいくらい

お伝えしたいことが山ほどあります。

 

前置きが長くなりましたが

次回は、ようやく額縁と色について簡単に書いてみたいと思います。

 

 

注*額縁入りのルノワール『玉ねぎ』の横のリンクは→ https://theframeblog.com/tag/renoir/

額縁のプロによるブログです。

非常にためになり、面白いし、充実している凄いサイトなので

もっと知りたい人には超おススメです!!私はこの人の本を買いました!!

名画の色の秘密~補足編 額縁②~

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額縁は、あるかどうかだけでも影響する。

その額縁が、どういうデザインかということも絵の印象に大きく影響する。

これについて、前回述べました。

 

今回は、では額縁の色は中身の絵にどういう影響を与えるのか、という話です。

やっと本題。

 

周辺の色は中身の色の見え方を変える

 

講座では、ルノワールの女性の肖像画を見せました。

背景の色がグレーか、赤かで女性の血色が違って見えましたね。

周辺の色は、中の色の見え方を左右します。

http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/art/news/scientists-digitally-reconstruct-renoir-portrait-9126981.html 

 

ということは、額縁の色によっては

中身である絵の色味が違って見える可能性があるということ。

これは分かり切ったことな上で

しかも考えてみればとても重要なことなんですが

案外と忘れ去られていることです。

私はこの点を、おおいに、おおいに指摘したい!

ピサロは自分で額縁を作っていて、絵の主要な色の補色になる額縁も構想していました。

左下の緑いろの絵のピンクの額縁は、それを再現したものです。

左上は画商が用意した額縁ですが、絵の色味にあわせて、くすみ化工を施していますね。

 

私のオリジナルの額縁アイディアの提案はここから

 

しかし、ここまでは、一般論の範疇です。

 

あまり詳しく説明できなかったのは、絵と額縁の色の合わせ方に関する

私のオリジナルの提案です。

絵の全体的な色合いを青み系と黄み系に分類した上で

合う額縁、合わない額縁を検証することでした。

このあたりが駆け足になってしまってすみません。

 

もちろん、色の“青み、黄み”については、よく知られたことで、別に新しいことではありません。ですが、絵をそれで分類するというのは、まだ為されていないように思います。

 

 

ずばり、青みの絵にはシルバー、モノトーン(白黒)の額縁が合う。

そして、黄みの絵にはゴールドや木目調が合う。

これは、青み=シルバー・モノトーン、黄み=ゴールド・木目という配色のルールがあって、それを踏まえたものです。ファッション、化粧品、インテリアなどの世界ではすでに活用されているルールですね。

 

実際、絵にも適応できるのでしょうか?

そういう目で見て見ると、歴史的な名画の額縁はほとんどが金か黒塗りかです。

一方、現代アートは、ほとんど額縁なしでむき出しで飾ってあるので、額縁問題は発生していない。

(この場合は、壁や床の色とのマッチング問題が発生しますが、これは別の機会に。)

 

どうしてか?

 

講座でも話しましたが、青みの色は比較的“新しい色、”近代の色です。

ユニコーンカラーとか、昔の絵で見たことないですよね?

 

伝統的な絵具は、土系のものなど、黄みが強いものが中心。

赤にしたって、主になるのはレッド・オーカー(赤土)、水銀朱(黄みよりの赤)です。染料系の絵具では、確かに青みの赤もあるのですが、これは朱になる不透明な絵具の上に重ねるように使うので、なかなか青みの赤を実現するのが難しかった。また、青みを実現するための青の絵具が大変高価で、比較的手に入りやすい青は黄みが強いアズライトでした(これも時代によっては非常に貴重)。

 

ということで、伝統的な名画は以上のような絵具で描くので、軒並み“黄み”の色を呈している。

よって、金縁がぴったりしっくり来る、ことが多い。

まして、ニスが変色して茶色っぽくなっていると、余計に全体的に茶系になるので金が合う。

 

面白いもんです。ほんと、そうなってますからね。

 

ですが、近代の絵になると、エメラルドグリーンだとか、マゼンタだとか、青みの色が安価で量産されはじめ、”青み”が主の絵も出てくる。しかし、それらの絵も、金縁に収まっているんですね。一部の印象派の絵、マネだとかローランさんの絵なんかもです。

色だけだと、左が合うのですが、それだとゴージャスにならない。

右は、色は合わないけど、伝統的な美術館で映える。

左だと、コンクリートの壁とか、モダンな建築では映えるはずです。

反対に、右の絵をモダン建築の中に置くと、キッチュになります。

 

これは、色が合うとか合わないとかで選んでいるのではなくて、豪華で凄い額縁に入れておく、という理由からそうしているだけです。しかしながら、青みの色調は黄ばんで見えて、少し野暮ったく見えてしまうのも事実。キッチュ感が出るのは、色が合わないのに金縁の額に入っているという様子が、それが生み出す“そぐわない”という違和感が、芸術まがい感を生むのですね。

 

逆に、伝統的名画のポスターを買ってきて、スチールの額縁に入れると

どうもピンと来ないというのも、この色味の問題があります。

(色だけでなく、意匠・テクスチャの問題ももちろんあります。)

 

正解はどこに?

 

どこに正解があるのか?

 

ここから先は、目的と好みの問題です。

歴史的にその額縁に入っていたから、というのも大事なこと。

作者の意向に重点をおくなら、それに従うのも一つの正解。

キッチュにしたければ、色や意匠を敢えてズラすのも良い。

あくまでも色味を合わせたい、と思うなら、法則に照らし合わせた色味の額にしたらいい。

 

目的の数だけ正解があるでしょう。

 

美術館などでは、3Dプリンタでも使って複製を複数用意して

いろんな額縁に入れて、効果の違いを並べて見せても面白いのに、と思います。

壁の色とか、調度品とかも変えて。ひとつの作品を、これでもかと違う状況で見せるのも

乙なもんじゃないでしょうか。

 

額縁問題。これだけで長々と話したいテーマです。

色以外に、意匠・テクスチャの問題とも切り離せません。

当然ながら、部屋の意匠、壁・床の色味との兼ね合いもあるんです。

非常に奥が深いけど、論理的に迫ることが出来るテーマでもあります。

ちゃんと順序だてて捉えたら、理解不可能な話ではないと思いますよ!

機会があればまとめたい・・・と思っています。

一冊、できそうですよね。

ですが、今回はこれで、一つの区切りにしようと思います。

 

 

絵は、絵だけで成立することはなくて、空間を占めている存在です。

見る人は、必ずどこかの空間で見ているわけですから

その空間と絵の関係は切りたくても切れないものです。

周囲の影響を受けているものである、と認識するメタな視点があるだけで

少しは落ち着いて見ることが出来るのではないでしょうか?

絵を見る技術~補足編~どうして学校で習わないの?

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色について、言いそびれた事、もっと話したかったこと、山ほどあります。

ほっといたら、あのまま5時間くらい喋ってしまったかもしれません。

 

八ツ墓村の撮影に使った、あのお屋敷はある”色”の原材料で大儲けした人の家だよ!とか

ジョットの遺体らしいものを発掘して調査したら、骨が鉛とヒ素に犯されていたということや・・・

水銀朱を作る過程が、まんま錬金術なこととか・・・

ゴーギャンとゴッホが揉めた理由の一つに、補色を押すかどうか、だった話とか・・・

色と絵具の話は本当に話が尽きないのです。

 

それも、次回、話せると良いですね。

 

【どうして学校で習わないのか?】

 

今回は、どうしてこういう話(構図の見方とか)を学校で教えないのか?という質問に

簡単に答えておきたいと思います。

 

まず、日本の美術関係の教育の問題のこじれは、明治維新の頃に端を発するのです。

そもそも、美術という用語だって、明治の初期にウィーン万博関連で

なんとか訳した新しい言葉です。それ以前の日本には無かった概念。

急いで整備した分野でもあるけど、内ゲバのような問題も起こしてしまった・・・。

それが、今に至るまで歪みを残している。

 

現在、大学における美術の教育は、三か所でバラバラに行われています。

美術史→文学部

美術教育→教育学部

美術の実技→美術大学

 

 

これ、私は日本に帰るまで気づきませんでした。

私はテキサス大学という”総合大学”の美術学部出身で

その中に、美術史・美術教育・美術の実技、の三学科が全部一か所にあったからです。

私は大学では、美術史・美術の実技の両方を専攻(BFA)し、大学院で美術史(MA)を専攻しました。

美術教育のクラスも普通に同じ建物で受けていました。

(この点については、後でまた述べます。)

 

まして、日本では美術の実技を”総合大学”で学ぶことは、ほとんど無理だと思います。

せいぜい、教育学部の特美くらいでしょう。

美術の実技は、美術系の学校という特殊な箱の中で行われていて

総合大学の中に美術学部があるなんて、よほどの例外です。

アメリカの大学では、むしろ当たり前にある学部なのです(アメリカかぶれで嫌な表現ですがあえて書いています)。

 

一方、普通教育の現場で美術を教える先生は、例外もあるでしょうが教育学部の出身です。

 

日本の美術教育は、美術家の育成(美術大学)とは別の、ガラパゴス的発展を遂げたと指摘されています。(私だけが指摘してるんじゃなくて、筑波大学の先生らが指摘されています。)

 

ということで、美術の現場と、普通教育の現場の乖離が起きている。

どういう事かというと、学校で習うことと、メディアに出てくる有名なアーティストの作品とが

全然違うという事態が起きている。

 

たとえば、学校では「絵具をチューブから出したのをいきなり塗るな」なんて習う。

しかし、超高額で落札される芸術家の作品が、明らかにチューブから出したものをキャンバスに投げつけたようなものだったりする。

 

学校では、他人の作品を模写しただけで作品とは認めてもらえない。

まして、有名作品にヒゲなんか描いて提出したら怒られる。

でも、実際にはそういう事で有名になった芸術家が山ほどいる。

 

子供も混乱しますよね。あれ、いいの?でも学校ではダメなの?と。

それを先生が説明できるほど、学史に通暁しておくのは現実問題として難しいと思います。

 

この乖離が、何故学校で習わない?という事態を生んでいるのです。

 

仕方ないんです。

それぞれの世界が、それぞれ利害でもって自律的な発展をしたなれの果てです。

 

【抑圧理論の影響】

 

学校で習わない理由は、まだあります。

戦前の型にはまった抑圧的な教育への反動です。

 

言ってみれば、構図についてとか、配色の理論などは、型と言えば型です。

もちろん、大事な型なんですが・・・

専門知識なんて、自由な発想の開花には関係ない、ってなもんです。

 

羹に懲りてなますを吹く、です。

 

結局、王政時代のフランスのアカデミーが教えていたことの形骸化した断片みたいなものを

学校で教えてしまっていたのですが。

(注:学校教育の名誉のため、最近では、改善を試みる様々な運動があることを述べておきます。)

 

【専門家の絶対的な不足】

 

最後に、美術史の専門家の絶対的な人員不足があります。

 

当然、人数が少ないから、彼らが美術史の学問の成果を他の学部の人たちに広めるまで

なかなか進まないのも、やむをえないのかな・・・と思っています。

 

先に、美術の3分野を学ぶ学科が、日本では三か所に分かれているといいました。

それがアメリカでは一つの学部であると。

 

違いはそれだけではありません。

教授陣の絶対数が圧倒的に少ないのです、日本の美術史学科は。

 

私が行ったテキサス大学の、美術史の教授は25人くらいいました。

 

25人ですよ、25人。専属で、です。フルタイムの、教授・准教授が、です。

メソポタミア専門(私の先生)、ギリシャ・ローマが数名、ビザンツ専門、日本の版画専門

日本のアニメ専門、近代フランス美術専門、ラテンアメリカ美術専門、

古代マヤ美術専門、イギリス風景画(そんなものまで!)

美術の研究手法の変遷史の専門、などなど、各分野のエキスパートが1~3名づつくらい”専属”でいる。

 

美術教育も、12~3人。

実技にいたっては、数十人、インストラクターをいれたら100人近かった。

 

美術史の教授は、美術史学科の所属が25人ほどで

建築史の先生は建築学科にいたし、各地域の美術の専門家は

各地域研究の学科に所属の人もいましたから、実質、美術史の講座を受け持つ教授の人数は

30人以上いました。珍しいことじゃありません、これが標準装備。

 

一方、東京大学の美術史は専属が3人。

3人ですよ!非常勤的に、他の大学からときどき講義に来てもらう人が

数人いる、という事ですが・・・

古代から現代にいたる膨大な美術作品を扱う分野で

数名では専門特化した領域を教えることだけでいっぱいいっぱいで

広く全般的なことを教えるのは難しいと思います。

 

東京芸大がもっとも多く、7~8人いますが、これでMAXです。

でも、このうち多くが東洋美術の専門家です(超ハイレベルな方々)

ということは、西洋美術の特定の分野とか、西洋美術の実技に関すること

西洋美術の学史となると手薄になっても仕方ない。

なにぶん、一人の肩に乗るものが多すぎる。限界があります。

 

基本、日本の大学の美術史学科は、教授は3人もいればいい方。

そういう状況です。

この状況で、どうやって専門家を十分に供給できるでしょう・・・この状況なのに

日本の美術の専門家は本当にレベルが高く、凄いと思います。

 

とにかく、人を養成する機関が手薄だし

美術史なんか専攻したくいっぱぐれると恐れる人も多いし

その割に、美術史は学際的で学ぶことが多すぎる分野だしで

もう、そら、無理っすよ、ってな話です。

 

少し話が逸れますが、ついでに書いておくと

美術史を勉強したい、という方にお会いすることもあるんですが

こういう状況があって、美術史を学ぶのが難しいというか、人数が少ないんで・・

学びたい分野を相当にピンポイントで決めて、その先生のところに行かないと難しいよ

という事をお伝えしたいです。

 

【どこで習えばいい?私のところに来たまえ(笑)】

 

ことほど左様な状況で・・・私が講座で話しているようなことは

あんまり聞く機会がない事になるんです。

実技的な内容と美術史の基礎との両方を合わせた内容だからです。

 

本当のところ、全体像を見渡すような話は大御所がするもんですが

大御所は忙しいし、日本の若い研究者は優れているのにとても謙虚だから憚っている。

 

ということで、私に出来る事はあるかな?と思案して

分かりやすく、面白いところを話してみてはどうだろう、と思い至ったのです。

みんなが専門家になりたいわけじゃない。

だから専門知識を、ただ横流ししても仕方ない。

むしろ、そういう手間を省いて、専門外の人が知りたいところをかいつまんで

段取りよく説明してみたい、そういう衝動に駆られています。

 

出来ているかどうかは別として、そういうところを目指しています。

エッセンスみたいなもの、他の分野とも通底する何か・・・そういうものを取り出して

聞く人、読む人がすでに知っていることを元に、理解できるような

そして自分が知っている世界を見るときにフィードバックできるような

そういう伝え方を目指していきたいと思います。

 

想いが強すぎて、言葉が多くなってしまいましたが

もう少し段取りよくお伝えできるように、さらに精進していきたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。

美術史の難解すぎる言い回しは翻訳語の不足によるものです。すみません。

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絵の見方講座の準備のため、久しぶりに美術史の古典的な教科書をいくつか読み直しました。

ハインリヒ・ヴェルフリンの『美術史の基礎概念』とか
エルヴィン・パノフスキーの『イコノロジー(図像解釈学)』などです。

翻訳の問題なのか、恐ろしく難解に見える文体です。
私が学生のときは、アメリカの大学だったので英訳で読みましたが
当時、やはり難解に思えました。
言い回しがまどろっこしいんです。
韓国人の友人が、韓国語訳もおそろしく難解だと言っていたのを思い出します。

例えば、15世紀と言えばいいものを、クワトロチェントって言う。
1400年代ということを、わざわざイタリア語で言う。
15世紀のイタリア美術のことを、クワトロチェントと言い
16世紀のイタリア美術のことを、チンクエチェントと言う。
日本語訳でもわざわざカタカナで書いてある。

アメリカ人の先生も、いちいちイタリア語風に発音する。

初めて聞いたとき、なんでわざわざ?と思ったのを覚えています。
こういう単語が、ちょっと鼻につくのが美術史の本の痛いところ。

 

読むのが難しいのは、翻訳語がまどろっこしいのが第一の理由かもしれませんが

そもそも、中身そのものも分かりにくいんです。

分かりにくい中身を、堅い翻訳で語る。

ダブルに難しくなるわけです。


美術史の基礎概念

ぱっと開いたページの一部を抜粋すると:

「16世紀には画面の各部分は中心軸を囲むように配置され、中心軸がない場合にも、

画面の両半分が完全な均衡を生むように配置される。均衡とは常に容易に定義しがたい言葉だが、

17世紀の一層自由な配列との対比によって、感覚的には非常に明確に捉えられるであろう。」

何?!え?何?

「それは力学が「安定した均衡」と「不安定な均衡」という概念を用いて表示するような対比だということである。

しかし、バロックの描写芸術は、中心軸の固定に対してきわめて明白な反感を抱いている。

純粋なシンメトリーが消えるか、さもなければ、あらゆる種類の均衡のずれによって、

それが目立たないようにされるのである。」


何?だから何?


今なら分かります。

15世紀(ルネサンス時代)の絵は、絵の真ん中を挟んで左右対称の絵が多いけど
17世紀のバロック時代の絵画は、絵のド真ん中は外して、中心軸を左右どちらかに振って
そこを挟んでシーソーのようなバランスを取るか、対角線で全体を斜めにした配置になっている

というような事なんです。

左右対称のことを「安定した均衡」と呼び
中心軸をずらしてシーソー的バランスを取ったもの、対角線を活用した構図を
不安定な均衡と呼んでいる訳ですが・・・
もう少し言い回しを簡潔にしてくれていたら
美術史専攻学生の学習時間を短縮できるんじゃないかと思います。

だから、少しでも美術を勉強しようと思った人が
この本を読んだとき、仮に挫折したとしても、あなたは悪くない、と言いたい。
この本が分からなくても、絵が見えるようにはなります。
そして、絵を見て理解する方が、この本を理解するよりよっぽど楽だと思います。

 

クワトロチェントなんて言葉を知らなくても、クワトロチェントの絵画の特徴を抽出することは可能です。

こういう事を、かみ砕いて、かみ砕いて、かみ砕くのが私の仕事なのだと自覚して
最近、少しづつ人に伝えられるようになったのが嬉しいですね。
聞いてくれるみんな、ありがとう!役立ちますように!!

『絵を見る技術』講座:次回12月5日開催です!

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しばらくのご無沙汰です。

次回の『絵を見る技術』の講座が決まりました!

 

おかげ様で、麹町アカデミア(遊学堂)での講座が第四回を迎えました。

申し込みサイトは↓のリンク先です。

『第四回 絵を見る技術を学ぼう!

センスや直感や専門知識に頼らない

絵の見方講座 』 

 

今回は、今までの総集編的なもの。

一枚一枚をゆっくり見つつ、色や構図の基本的な見方

絵がどのうようにバランスよく構成されていて

目線をどう段取りよく誘導するよう設計されているか

そういったものを「へぇ、なるほどねぇ」と分かるように解説する予定。

 

今回はお題を発表しておきます!

 

ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』がメインです。

予習していても、いなくても楽しめるようにするので

安心してくださいね。でも予習してきた人は、さらに楽しめるようにします。

 

講座の流れとしては、

まず前菜的に、サンチェス・コタンの面白いお野菜の絵。

メインで上に載せてある王道の名画『ウルビーノのヴィーナス』。

そしてデザートに、皆大好き完璧すぎるアルフォンス・ミュシャ。

 

三枚の絵をじっくり、じっくり、じっくりと分析していきます。

 

絵をどう感じるかは、個人の趣味嗜好、文化的背景、知識の度合い次第なところがあります。

しかし、色や構図や配置については客観的にとらえたり、他の人と共通の見方ができるものです。

絵を見る上で、感じることではなく、「見て分かる事・見て確認できる事」に集中して解説していきます。

 

感性不問。理性と観察力を求める絵の見方講座です。

 

これから当日まで、少しづつ予習?!的なものをアップしていきますので

ゆるゆるとお楽しみに!

 

お世話になっている麹町アカデミアのサイトは↓

http://k-academia.co.jp/

フェイスブックは

https://ja-jp.facebook.com/kojimachiacademia/

主催者の独自の目線で選んだ面白い講座がたくさんあります。

私も岡山に住んでいなければ行きたいのに!思う講座があって

ときどき歯ぎしりしています。


12/5講座の予習編1:どこから始めたらいいのか?

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今回から数回に分けて、12月に開催する「見る技術」講座の予習編をアップします。

 

12月5日「見る技術」講座の申し込みページはこちら

 

絵の見方って習わないですよね。

知らないと見ても分からないこと、よく見さえすれば分かること、二通りあります。

 

知らないと分からないことは、講師が補っていきます。

よく見たら分かることには、配色や配置などの構図やバランスなどが含まれます。

その見方は講座で詳しくお伝えします。

つまり、講座の主軸は「どうやったらよく見えるようになるか」に置いています。

このブログでは、知らないと分からない「解釈の仕方」について詳しく補足的に説明する予定です。

 

■自分の心に浮かんだ疑問を大事にしよう!

 

講座では、この絵↓を通して、すぐに使える絵の見方の基本をお伝えします。

 

構図はどうなっているのか?バランスは?どう目線を走らせればいいの?

どういう意味、何?何が描いてあるの?!証拠は?根拠は?いくらするの?などなど。

 

ティツィアーノ・ヴェッツェリオ 『ウルビーノのヴィーナス(通称)』 1538年

 

しかし、こんな絵を見せられて、いったいどう反応したらいいのでしょう?

 

人によって反応がまちまちになるのは当然です。

素直に、さぁ、素直にその反応を受け止めてみてください。

 

犬かわいい、とかでもいいんです。

 

私も正直に言います。

「この時代の女性はどの程度本当にムダ毛処理をしていたのだろう?」

私はそう思いました。結論から言うと、本当に処理していたんです。

 

さぁ、皆さんも自分の素直な感想とか、気づいたこととか

そういうところから観察を始めましょう。

そして何か疑問を持ったら、それは絵画鑑賞の始まりです。

どんな疑問も、愚かとは限りません。

(もちろん、答えに関心がない質問は問題外ですよ。)

 

自分がどう見ているかがはっきりすると

いろいろ分かってくることがあるんです。

現代人特有の偏見を持ってたんだなぁ、とか。

ヨーロッパ人と現代日本人では基本的な教養が違うから

同じもの見ても読み取れるものが違うよなぁ、とか。

なんだいつの時代もそこは変わらないのか、とか。

 

私の疑問に立ち戻りましょう。

理想化した女性像として、目障りなものを描かなかっただけなのか

本当に剃るか抜くかしていたのか。私は悩みました。

 

そして同じ疑問を持ち、その問題に真剣に取り組んだ学者がいることを知りました。

エディンバラ美術学校のバーク教授です。

その素晴らしい成果のリンクは↓

ルネサンス時代の女性はムダ毛脱毛をしていたのか?

本当にやってたんですね。

ヒ素とか塗ったら、そりゃ抜けるだろうけど、体には悪そうです。

現代女性も針やレーザーで痛いのを我慢しつつ処理しているのですから

時代が変われども、美とは危険を伴う覚悟を必要とするのでしょうか。

このような学術成果に触れるたびに

美術史という学問の奥の深さというか、闇の深さを感じます。

 

このようにアホらしいと思った疑問でさえも

学問に昇華する場合もあります。

 

ということで、講座の最中の質問も歓迎です。

是非是非、これはどうなの?とか聞いてくださいね。

私も池上さんみたいに「いい質問ですねぇ」って言いたい。

 

ただ、ぶっちゃけますと、ほとんどの事は「はっきりとは分からない」です。

ほとんどの事は、「こう捉えるのが最も妥当」という程度。

どうして犬が寝ているのか、長持ちの中をひっかきまわしている侍女は

中身を出そうとしているのか、しまっている最中なのか。

推測はできますが、絶対こう!というのはないんです。

残念ながら、絵を見るってそもそもそういう事、というのも踏まえておいてくださいね。

 

では次回に続く!

 

 

12/5講座の予習編2:ヴィーナスの横にいる犬は何を意味して、いったい誰の犬なのか?

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12月5日に「絵を見る技術」の講座をやるにあたって

お題のティツィアーノ作「ウルビーノのヴィーナス」について

知らないと分からないことを、どんどん紹介していきます!

 

今回は、この右下で眠りこけている子犬(スパニエル犬と思われます)について。

 

 

■眠る犬が意味するのは?

 

この犬は何を意味しているんでしょう?

一般的に、この時代の絵における犬は「貞淑」を表すとされます。

しかし、この犬が眠りこけていることから「貞淑も眠っていることを意味しているのでは?

と勘繰る人も・・・・つまり、この女性は貞淑ではないのでは?という勘繰りです。

 

一方で、この犬が眠りこけているということは

このヴィーナスが見つめている相手(おそらくは夫)が

犬が安心して寝ていられる、つまり信用おける自分の主人であるという事を

意味しているのだ、という見方もあります。

すると、文字通りこの犬は貞淑を意味すると考えられます。

 

■実は何度もモデルに起用されている犬だった・・・

 

さて、何を意味しているのか?

それを考える前に。

この犬、ティツィアーノのいろんな絵に出てくるんです。

3枚見つかっていますので、ご覧ください。(注:27日、もう一枚追加しました)

 

「エレオノーラ・ゴンザーガ・デッラ・ローヴェレの肖像」 1538年

「クラリーチェ・ストロッツィの肖像」1542年

「鶉のいるヴィーナスとキューピッド」 1550年頃

「ベンドラミン家の肖像」 1540年頃

 

小さくて分かりにくいので、アップを。

この子も、ウルビーノのヴィーナスの横にいる子と同種ですよね??

 

とくに、私はクラリーチェの横にいる子が可愛いと思います。

 

↑これは、エレオノーラ・ゴンザーガ・デッラ・ローヴェレの肖像に描かれた犬。

こちらはパッチリと目を開けています。

これは、エレオノーラの貞淑を明確に意味していると考えられます。

その点について、『ウルビーノのヴィーナス』の場合のように、喧々諤々になりません。

 

 

ティツィアーノの研究家であるローナ・ゴッフェンは、この二匹は同一犬、もしくは同腹と見ています。

(美術史家っていろんなことをしらべて記述しているでしょう・・・・)

さらに、ゴッフェンはこの犬は、モデルとして起用されたおそらくティツィアーノの飼い犬であろうと推測しています。

 

■『ウルビーノのヴィーナス』の買い手は、エレオノーラの息子という事実!

 

実は、『ウルビーノのヴィーナス』を買ったのはグイドバルド2世・デッラ・ローヴェレと言って

上のぱっちり目を開けている子犬の横にいるエレオノーラの息子なんです。

 

しかも、この絵ともう一枚自分の肖像画を頼んでいましたが

それの支払いを、母親のエレオノーラに無心している。

 

二枚とも同じ年に描かれています。

 

ただ単に、同じ犬が手近にいたから描いたのかもしれません。

それとも、家族の絵なので同じ犬を描いたら連関が生まれると意識して描いたのかもしれません。

本当にこの犬をエレオノーラかグイドバルドが飼っていた可能性だってゼロじゃありません。

 

でも、だとしたら、どうして他の絵にもこの犬が出てくるのかは分かりません。

 

ティツィアーノは他にもいろんな犬を描いてます。白いモコモコの子犬とか、短毛の子犬とか、かっこいい猟犬とか、それこそいろいろです。この犬は明らかに同じ種類の犬なので、お気に入りだったのかな?と考えられます。

 

■この犬が意味するのは?

 

『ウルビーノのヴィーナス』はずっと、なぜだかヴィーナスじゃなくて高級娼婦を描いたものだ

という解釈が美術史家の間で人気でした。

だから、この犬も貞淑を表すはずがないと考えられていました。

 

しかし、近年の冷静な研究によると、どう考えてもこの絵はヴィーナス(一人の女性にももちろん見えるけど)を表しているし、結婚を祝った祝婚画だろうと解釈するのが妥当なものです。

すると、この犬はやはり貞淑を表していると考えるのが妥当だと思います。

 

ちなみに、のちにエドゥアール・マネがこの絵にインスパイアされて描いた『オランピア』では

この犬の位置に、威嚇する黒い子猫が描かれています。

黒猫は明らかに娼婦を表しますし、オランピアという名前もこの時代の娼婦によくある名前です。

威嚇する黒猫は、侵入者がなじみのない人物であることを意味しているでしょう。

 

後の時代から『ウルビーノのヴィーナス』を見る人は、この『オランピア』も知っているので

後者の絵の意味に引きずられる傾向があります。

つまり、カバーを聞いて育った世代が、オリジナルの歌手の歌を聴いたとき

「あれ?違う」って思うようなものです。

そして『ウルビーノのヴィーナス』も、色っぽいから当時の高級娼婦を描いたんだろう、と

こんなの女神のわけがない、と思った研究者(主に男性)が後を絶たなかったのです。

 

『ウルビーノのヴィーナス』の犬も、一蓮托生で多少の誤解を受けましたが

たぶん、問題なく字義通りの”貞淑”の意味だと思います。

もちろん、ただ単に構図上バランスを取るために何か描かないといけなかったから

手元の子犬を描いたのかもしれません。

何にせよ、そんなところが妥当なようです。

 

以上、犬についてでした。

 

他にも、モデルの女性にまつわる噂や、ウィキペディアの記述はどこまで当てに出来るか、とか

ヴィーナスだと分かるのはどの部分なのか?などなど、これからもどしどし解説していきます。

 

12月5日「見る技術」講座の申し込みページはこちら

12/5講座の予習編3:ウィキの記事は正しいの?

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12月5日に開く「見る技術」のお題の予習編三回目です。

 

当日は、ちゃんとした構図の見方やもっと一般的な話をするので

別に予習編の内容を知らなくても分かるので心配いりません。

もし詳しく知りたかったら読んでね、という内容です。

 

さて、調べるといったらウィキペディアですよね。

もちろん、ウルビーノのヴィーナスにも記事が割かれています。

 

結論から言うと、間違った記載などありません。

もちろん、恣意的な情報の選択ではありますが、それは編集上あっても良いことです。

 

参考文献にベレンソンとゴッフェンを載せているのも味わい深いですし

(注:ベレンソンかと思ったら、バーズソンっていう人でした。すみません。だれ?)

 

マーク・トウェインの辛辣な感想を載せているのもいいでしょう。

(好意的な感想も述べるべきだと思いますが。)

ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」が元ネタであるのも本当です。

マネの「オランピア」がオマージュ作品なのも本当。

 

細かい事を言えば、もちろん、グイドバルドが購入したことは間違いありませんが、実は依頼したかどうかは定かではありません。まれに、依頼した人じゃない人が買うこともありますが、そんな記述上の問題は微々たることです。

 

強いて言うなら、

“古典的、あるいは寓意的表現(女神であるヴィーナスになんらの属性はなく、想像上の存在)は見られず” の部分が分かりにくいかもしれない、と思いました。

(注:英語版を翻訳しているために、意味が混乱しているようです。 ”Devoid as it is of any classical or allegorical trappings – Venus displays none of the attributes of the goddess she is supposed to represent – the painting is sensual and unapologetically erotic.”古典に依拠したり寓意を示すような枠組みはなく、ヴィーナスは彼女の属性を表す(著者注:鳩やキューピッドなどのいわゆるアトリビュート)ものもなく、この絵は官能的で悪びれもせずにエロい、というような意味です。)

 

これはどういう意味かというと、”ヴィーナスにまつわる神話の場面を描いていない” という意味です。アトリビュートはあります。バラにマートルに真珠にプディカポーズ。だから、そこは少しおかしい。

 

神話の場面とは、例えば、海から上がるヴィーナスとか、アドニスに抱き着いているヴィーナスとか、マルスと不倫しているヴィーナスなどの場面のこと。ギリシャローマの古典作品に出てくる神話のセッティング、という事です。

 

そして、「ウルビーノのヴィーナス」の場合、ヴィーナスの神話に基づいた場面を表していません。

だから、彼女はヴィーナスではない、ただの淫靡な裸体の女性である、という説の論拠としてこの”寓意的表現が見られない”という話が持ち出される、という研究上の背景があるのです。

 

もちろん、この絵がエロティックであり、買った人も限りなくそういう目で見ていただろうし、

画家もそう見られることは分かっていただろう、という事を否定する研究者はいません。

だからと言って「これはただのハダカの女だ!」という結論に飛ぶのはは少し乱暴です。

 

”その可能性もある”、というくらいに留めておくなら私は問題ないと思います。

実際、何の予備知識もなければ「裸の女性の絵」と認識しても不思議はないし

おかしい事でもありません。”一義的なものとして断定する”のが問題なだけです。

 

 

私がムカつくポイントはですね

元ネタのジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」だって神話上の何の場面も表していないのに、ウルビーノのヴィーナスを断罪する学者たちは、眠っている方がヴィーナスであることを否定する見解を”示してはいない”のです。

 

つまり、神話の場面を表していないことからヴィーナスではないと一方では言いつつ、条件が同じジョルジョーネの絵については黙認しているのです。

しかも、ジョルジョーネのヴィーナスの官能性も認められているのに、です。

 

明らかに、「ウルビーノのヴィーナス」への過剰攻撃です。何をそんなにムキになるのだろう?

 

そのあたりを指摘し、解明してきたのがローナ・ゴッフェンたちなのです。

他にもDavid Rosandなんかも同じような見解です。

 

では、どうしてジョルジョーネのヴィーナスはヴィーナスなのか?

何の神話的場面も表していないのに?

 

それは、ポーズがヴィーナス・プディカという下腹部を手で覆うヴィーナスの有名なポーズだからなんです。

 

でも、ポーズがそうだからヴィーナスだっていうんなら、「ウルビーノのヴィーナス」だって同じポーズなんだからヴィーナスでしょう!

 

そうじゃないなら、ジョルジョーネの絵も「眠るハダカの女」にしろ、統一しろ、と私は言いたい(笑)。

もし統一しているなら、私には文句がありません。

エロの象徴でいいじゃないですか、どうせヴィーナスはエロを代表してるんですから。

息子だってエロスだし(キューピッドのギリシャ名はエロス)。

 

どうも、一部の美術史家の間では「ウルビーノのヴィーナス」の女性の素性に対して厳しいものがある。

過剰に厳しい。意地でも女神だと認めたくないもの、単なるポルノであると主張したい層がある。

マーク・トウェインもそのあたりの主張に影響されていると思う。

 

この絵のことを、つまり自信たっぷりなエロい女性のことを

エロいと思ってるのじゃなくて、怖いと思ってるからこその感想のように、私には思えます。

なんというか、女性からプレッシャーかけられてるみたいな???気になるんじゃないでしょうか???

 

 

ジョルジョーネの絵がヴィーナスだとみなされる根拠に、かつてキューピッドが足元に描かれていたことが挙げられます。19世紀に塗りつぶされましたが、X線で判明したところを、図示したのが上の白黒写真です。

 

でも、このキューピッドを書き足したのは、ティツィアーノなの!ティツィアーノなんです!

だから、「キューピッドが描いてあるからこれはヴィーナスでOK、セーフ、セーフ」って意見は

ちょっと都合が良すぎる主張です。

 

一方で、ティツィアーノが書き足したものをもとにヴィーナスと認定し

同じティツィアーノが似たような絵を少し扇情的に描いたらもうそれはヴィーナスじゃない

という考え方は恣意的すぎます。そんなの学問じゃない。個人の感想です。

 

もう一度まとめると、

神話的な場面を描いていなくても神話の登場人物と認定できる事ばあるということ。

ジョルジョーネの絵の場合のように

何かのヴィーナスの神話を表していなくても

ヴィーナスの素性を証明する記号的なもの(ここではキューピッド)が周囲に散らばっていたら

それはヴィーナスとして受け止められるんです。

 

一般的に、ヴィーナスを表す記号はたくさんあります。

鳩とか、バラとか、マートルとか、貝です。

キューピッドは息子だから、一緒にいたら当然ヴィーナス。

(ただし、キューピッドが若い娘といたらそれはプシュケです。)

 

「ウルビーノのヴィーナス」については、いくつかのヴィーナスのアトリビュートが描かれています。

ヴィーナス・プディカのポーズ、バラ、マートル、真珠(貝と同じ意味)がある

しかも同時代のヴァザーリもこの絵の女性を「ヴィーナス」と書いている。

それでも「ウルビーノのヴィーナス」は「ただのハダカの女」と言いきる美術史家たち。

 

ヴィーナスの後ろにあるチェストも、二つセットで一般的な婚礼道具。

これは婚礼道具なんです!

新郎側が用意するもので、花嫁衣裳とかが入っています。

この状況を見て、ヴィーナスが結婚したカップルに「愛し合って子孫作りなさいね」って微笑んでるという解釈で何か問題あるんでしょうか。

何がいけないんでしょうね?

 

 

他の絵だったとしたら、あまり疑わずにヴィーナスと認定されるに十分な状況証拠があるのに

執拗に違うと言い張る人たちがいる。

しかも根拠は弱い。

 

何か潜在意識的なものを感じてしまいます・・・。

 

確かに、寝室に入って、女がこんな態度だったら、男は引くかもしれない、確かに。

その「引き」が研究者の意見に滲み出ている可能性はある。

 

もっとも、注文主のグイドバルド2世・デッラ・ローヴェレがこの絵のことを手紙の中で「あのハダカの女の絵」と呼んでいるため、生真面目な美術史家は、自分の見解にも都合が良いため

「ウルビーノのヴィーナスは単なるいかがわしい裸の女の絵で、自分が見てもエロティックだから

きっとポルノめいたものだろう」という見解が検証されることなく主流となっていたわけなんです。

 

そう、私が思うにこの論争のポイントは

「なぜ、一部の美術史家たちは、『ウルビーノのヴィーナス』の場合に限ってそこまでムキになってヴィーナスであること、女神であることを否定してかかったのか?」という研究史レベルのメタな論点に繋がっているところにあります。それを炙り出しているところが面白いです。

 

ちなみに、外部リンクに挙げている

http://employees.oneonta.edu/farberas/arth/arth213/Titian_Venus_urbino.html

の解説は良いですよ!主にゴッフェン、主に主にゴッフェンを引用しています。

 

12月5日「見る技術」講座の申し込みページはこちら

 

さて、どんどん予習編アップしていきますよ。

12/5講座の予習編4:元ネタの元ネタ

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前回は思わず、プチ怒りから細かいことを書いてしまいました(笑)

分かりにくかったらすみません。

 

結局、私が伝えたいのは、

絵ってそもそも多義的だから、ある程度はふり幅があるもので

そのふり幅を複眼的に楽しむのが鑑賞の醍醐味。

それを、どこか一点に意味を還元したり限定しようとするのは不毛だ

という事に尽きるのです。

 

ということで今回は、元ネタの元ネタについて。

 

ヴィーナスの奥でガサゴソしている、その長持ちは”カッソーネ”と言います。

結婚するとき、新郎側がペアで注文して作ります。

外側が装飾になっていて、普通、蓋の裏側にいろいろな絵が描いてあります。

 

 

カッソーネってこんな感じ↓。

 

 

蓋を開けると・・・・

 

 

こんな絵が描かれてるのー!

このカッソーネは、カップルのそれぞれが裸で描かれていますね。

ときに、男の子なんかが描かれていることもあります。

愛し合う男女、という場合もある。

もちろん、夫婦和合と子孫繁栄を願って。

 

 

最初にこういうのを見たとき

「あ、ウルビーノのヴィーナスって、カッソーネの蓋の内側の絵を超リアルにしたみたいなんだ!」

と思いました。アップグレード版みたいな。

 

 

こういうのもあります。

もろに、「ウルビーノのヴィーナス」と同じような場面ですよね。

比較すると、かなり画風の違いが如実に出ますが。

 

 

当時の貴族は、カッソーネを知っている。

そして、カッソーネの内側にはこういう絵があるということも知っている。

そうすると、当時の人が見たら

「あ、カッソーネの蓋の内側でよく見るやつだ」って思ったかもしれませんね。

で、「あ、奥にカッソーネあるじゃん、あの蓋には何が描いてあるんだろうね?」って思って

二重に楽しんでいた可能性があります。

 

あれだ、励めよ、ってやつだ、って。

それの人気画家による上等なバージョンのやつだ、って。

 

そして、見る人と絵の関係は

入れ子式みたいな構造になりますね。

蓋を開けて見ている(と仮想できる)自分と同じ立場の人が、絵の奥にいる、みたいな。

 

「ウルビーノのヴィーナス」が実際にカッソーネの蓋の内側用だったんじゃないか

という説がありますが、そうだとしたら、この画面比率は合わないと私は思うんです。

これ、ルート2矩形で、ルネサンス時代に一般的なタブローのサイズです。

壁に飾る用だと思うのですが、どうでしょうね。

 

これはボッティチェリの「ヴィーナスとマルス」で、これもカッソーネの内側用だったみたいです。

これくらい細長いと、そうだろうと思えます。

 

この場面は、もちろん二人はそういう関係で、そういうことの直後を描いています。

サテュロスが棒を持って突進しているのは、文字通りの意味にとって頂いてよいでしょう。

女性の方がばっちり起きてて、男が眠りこけているのも意味深です。

 

そんなこんなで、「ウルビーノのヴィーナス」については

いくらでも、いくらでも、いくらでも書くことがあります。

 

なぜなら、これがルネサンス時代を代表するヌードだからです。

男性版はもちろんミケランジェロのダヴィデ像。

つまり、絵画作品としては歴史上もっとも有名なヌードの一つだから

当然、語ることも増えるのです。

武田久美子の貝殻のビキニとか、誰だったかの林檎で隠してるヌードだとか

エマニュエル夫人とか、あんなのに匹敵する類のものなのです。

 

では、まだいくらでもあるので、12月5日までどんどん続けます。

12月5日「見る技術」講座

12/5講座の予習編5:講座ではどんな事をやるのか?

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12月5日「見る技術」講座の予習編5回目です。

 

お題の『ウルビーノのヴィーナス』の裏話ばかりやっていたので

今回は趣向を変えてみます。

講座ではどういうことをやるのか

いま東京・上野の森美術館で実際に見られる名画

『レディ・ジェーン・グレイの処刑』を題材にご紹介しようと思います。

 

今回は絵を見るポイントを1つご紹介して

次回はその色の秘密と実物ならではの見どころ

最後に緻密な構図とその分析方法を3回に渡って解説します。

 

 

予備知識なく1枚の絵を目の前にしたとき

一体どこを見たらいいのか?

 

1833年の作で、8000フランで売れたそうです。

それが今の価値でどれくらいなのか、いまひとつピンと来ないですが高額です。

 

簡単に言うとこの絵は、16歳の女性ジェーン・グレイが政争に巻き込まれ王位につけられ

あっという間におろされて、斬首刑が決まり、その執行の直前の場面を描いています。

 

どういう風に見るのか?もし予備知識が何もなければ・・・

 

絵を見るポイント其の壱: 明暗のコントラストが激しいところが注目して欲しい所だと知ろう

 

この絵を白黒にしたものを見てみましょう。

 

 

どこがコントラストが激しいところか分かりますか?

ずばり、中央の白い女性ですよね。

浮き上がっている。

この白いドレスの女性が主役だから、この人が目立つように工夫してあるのです。

 

介添えの男性は黒いガウン、後ろで嘆いてる女性はダークブルーのドレスだし

気絶している人も茶色。もし彼女たちまで白いドレスを着ていたら、ボヤけますよね。

 

どれほど画家が明暗のバランスを気にかけているかというと

伝統的な手法で描く画家の場合、下準備の段階で白黒の明暗だけのバージョンを描いてみるほど。

さらに、多くの画家が下塗りの段階で単色で明暗を決めています。

以上のようなプロセスは、モダンアートの画家は省く作業ですが

彼らももちろんコントラストの価値は理解しています。

完成作はあまりにも自然な仕上がりなので気づかないかもしれませんが

描く側にとっては非常に重要な事なのです。

 

講座で伝えたいこと

 

『レディ・ジェーン・グレイの処刑』で見たように

明暗のコントラストが強ければ

絵画の知識があろうがなかろうが

審美眼があろうがなかろうが

センスがあろうがなかろうが

目の機能が自動的にコントラストを検出して、自然と目がそこに向くのです。

 

このポイントを理解するのに必要なのは、視力です。

 

画家は経験則から気づいているのか、理論化できているのか

目立たせたいところは、目立つように描いています。

特に名画と呼ばれるものは、それが出来ているから名画なのです。

 

コントラストに注目するというコツは、そんな風に”絵を見るコツ”のほんの1つ。

他にもたくさんポイントがあるので、講座ではどんどん紹介します。

 

絵を見るのにセンスがないことを心配する必要ありません。

 

たいていの人は、なんとなく掴んでいるのです。

ただ、自然とそこを見てしまうとか、良いと思うことの「理由」が説明できないだけです。

世にセンスが良いとか、美術の知識がある、とか言うのは

つまり、どうしてそうなのか、が言葉で説明できたり

言語化はできなくても、非言語レベルで理解して自分でも再現できたりすることです。

 

たとえば、誰かが美人かどうか、イケメンかどうかぐらい、誰でも見たら分かりますよね。

でもほとんどの人が、「どこがどうだから美人、イケメン」と説明できるわけでもなく

自分がそれを再現できるわけでもない。

逆に、美人のコツを知っている人は、素材は平凡でも見せ方で美人に見せることができる。

これをしてセンスと呼ぶわけです。

 

このように、”センス”と括られている“絵を見るコツ”を講座でお伝えしていく予定です。

第2回、第3回でもそういう事をいろいろお伝えしてきましたが

今回は更に分かりやすくするつもりです。

 

 

12/5講座の予習編6:講座ではどんな事をやるのか?色の秘密編

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12月5日「見る技術」講座ではどんな事をするのか

いま東京で見られる名画『レディ・ジェーン・グレイの処刑』を題材に解説する二回目。

今回は、この絵の色の秘密をお伝えします。

 

私が思う見るべきポイントは、大きく分けて2つ。

 

1.配色をどんな風に決めているのか?

2.実物を見られるからこそ見てほしいところ

 

   

 

1.配色をどんな風に決めているのか?

 

左側が『レディ・ジェーン・グレイの処刑』(1833)の完成作で

右側が、ウィトワース美術館所蔵の水彩画による下絵。

 

この絵の場合、彩色下絵が残っていて、しかも絵の科学分析も行われているため

どのように配色を決めていったか、そのプロセスを追うことができます。

 

まず、下絵と完成作の色を比較してみましょう。

下絵は18.4×14.3㎝と小ぶりです。

 

全体的に完成作と比べて、上から押しつぶしたような、へしゃげたような印象です。

 

ジェーン・グレイが中心なのは分かるけど、処刑人の剣が超目立ったり

気絶してる女の人のトーンが明るいし、後ろの女性にライトが当たりすぎ。

つまり、目立つものが多すぎて、わちゃわちゃしてる。

 

一番違うのが、処刑人の色。

下絵の段階では、右側の処刑人のタイツが黒っぽい色だと分かります。

ポーズも大幅に変わっています。

あとは大体の色味とかポーズは変わりませんね。

細部のマイナーチェンジ程度です。

 

では、画家はどの段階で「やっぱり処刑人のタイツは赤にしよー」と決めたのでしょう

 

これは、完成作の絵具の層の分析から分かります。

 

実は、この処刑人のタイツの部分の絵具の最下層には薄墨色が塗られています。

そしてその上に、黒い絵の具をぬぐい取ったと思われる薄い薄い層が見られます。

(もちろん、ものすごく薄い黒を塗ってから、気が変わったという可能性もある。)

その上から、朱色が塗り重ねられ、赤い染料が重ねられ、ご覧のような色になっているのです。

 

つまり、画家は完成作に取り掛かってからも当初は下絵通り、黒っぽい色にしようと思っていたけど

途中でやっぱり赤にしようと決めた事が分かるのです。

 

へぇ~、そうなんだ。

 

と思っていただければ幸い。

 

ちなみに、タイツの赤色は水銀朱と鉛白、二種類の染料系の赤い絵の具であのタイツの色は出来上がっています。

 

おそらく、血の赤を連想させたいという意図もあるでしょうが

当初の予定のように処刑人の上半身が赤いと、視線が過剰に上の方に行ってしまって

絵の焦点がぼやけるから、それを避けるための変更だったのかもしれません。

 

2.実物を見られるからこそ見てほしいところ

 

次に、実物を見られるからこそ、近くでじっくり見てほしいところを3点ご紹介します。

 

壱) 洪水被害にあって絵具がはげ落ちたところが、どのように上手く修復されているのか?

弐) ニス状の液が使われた部分の筆跡が、どれくらいはっきり見えるか?

参) 時代を反映した色は、どの部分に見られるか?

 

壱) 洪水被害にあって絵具がはげ落ちたところが

どのように上手く修復されているのか?

 

↓は修復前の状態。処刑人の足元が被害がもっとも大きくボロボロです。

しかし、洪水の被害にあったとはいえ、もともとの絵がちゃんとした技法で描かれているので

画面が安定していて、損傷が少ないですね。

この痛んでいたあたりが、いかに美しく修復されているのか

是非ご覧ください。

 

弐) 特別な液で溶いた絵具を使った部分の筆跡が

どれくらいはっきり見えるか?

 

この絵のほとんどの部分が、普通の油絵具の媒材”リンシード油”で描かれています。

 

しかし、部分的に例外があります。

例えば、ジェーン・グレイを抱きかかえている男性の黒いガウンと処刑人の黒いシャツ

処刑人の赤いタイツと気絶してる人の膝の上の布の赤い部分は

ニス状の液で絵具を溶いて描いていることが分かっています。

実は、このニス状のものを使うと、通常のリンシード油で描くよりゼリー状で筆跡が残りやすいのです。

つまり、ドラロッシュの筆跡が見られる!

 

茶色のドレスの赤い模様部分に注目

 

実物をご覧になる機会がある方には

是非、その筆跡がどのくらい分かるのか確認してほしいです。

 黒いガウン、黒いシャツ、赤いタイツの部分

 

このようなニス状のものを使うと、劣化したり痛みの原因になりやすいと考えられていますが

ドラロッシュは使いこなしているため、問題がありません。

 

もう一つ、違う媒材を使っている箇所が

ジェーンの白いドレスのハイライト。

ここはクルミ油が使われています。

というのも、リンシード油は黄変しやすく、白さを表現したいときには

乾きは悪いものの黄変しにくいクルミ油が使われているのです。

そして、このハイライトにはほんの少しの青が混ぜられていて

青みがかった白い輝きが出ているはず。

それも確認してみてください。

 

参) 時代を反映した色は、どの部分に見られるか?

 

ドラロッシュが活躍した19世紀は、新しい絵の具が目白押しの時代。

18世紀にはなかったもので、ドラロッシュがこの絵に取り入れている色が2つある

と化学分析の報告書にあります。

それは、合成ウルトラマリンとコバルトブルー。

 

ジェーンの白いドレス、後ろで嘆いている女性の青いドレスにコバルトブルーが使われています。

 

そして、かつて超高価だったウルトラマリンを安価で合成することに成功したのが

19世紀初頭です。ですが、この絵のどこに使われているのかは、報告書からは

はっきりしません。

私が思うに、おそらくジェーンの足元のクッションの青緑色の部分ではないでしょうか。

 

 

ということで、ぜひぜひ実物を見られるチャンスを生かして

”実物の色”と”筆の跡”を楽しんでください。

 

考えてみれば、当時超有名なドラロッシュが今ではほとんど知られていない事が

何より一番怖い。落穂ひろいのミレーの師匠なんですよ!あと、ジェロームとか。

 

次回は、この絵の”構図”を分析します。

よく出来てますよー!!ヒントは、”同じ形を探せ!”です。

 

 

参照:

Kirby, J. and A. Roy "Paul Delaroche: A Case Study of Academic Painting." 

In Historical Painting Techniques, Materials, and Studio Practice: Preprints of a Symposium Held at the University of Leiden, the Netherlands, 26-29 June, 1995,  Wallert, Arie, Erma Hermens, and Marja Peek, eds, pp.166-175. Marina Del Rey, CA: Getty Conservation Institute, 1995 http://hdl.handle.net/10020/gci_pubs/historical_painting

 

12/5講座の予習編7:講座ではどんな事をやるのか?構図を見るのは面白い編

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12月5日「見る技術」講座の予習と言いながら

『レディ・ジェーン・グレイの処刑』の解説ばかりやっています。

 

こんな感じの話をするよ!というデモと

事務局のお姉さんからのリクエストに答える目的と

上野の森美術館に現物を見に急げ!の3つの目的を兼ねています。

私も東京行くとき見に行きたいです。すごく混んでるらしいけど・・・

 

今回は、構図ってこういう風になってるんですよ!絵ってこうなってるんですよ!

ということの、ほんの一部をお伝えします。

 

1.大まかな構図の全体像

2.傾きの調整

3.斬首の暗示

 

1.大まかな構図の全体像

 

この作品を描いたドラロッシュは、ダヴィッド(ナポレオンの絵を描いた人)の孫弟子

そして、ダヴィッドの弟子たちは、ダヴィッドの構図のクセをものすごく受け継いでいます

それは、こんな風に、長方形の短い辺の長さを持つ正方形を

長方形の中に組み込んで出来た区切った線の位置に、主要なものを配置する手法。

弟子筋は軒並み使っています。軒並み。

やっぱり。処刑人の中心線は、この正方形が作り出す右側の区切り線です。

そして、処刑されるジェーンと介添えの人の位置は

上辺の中央からこの区切り線下への対角線が作る三角形に納まっています。

気絶してる人は、左辺の中央に向けて引いた対角線の下にいます。

嘆いてる人は、5分の2の位置に向けて引いた対角線の下。

処刑人の手の位置もこれで決まってます。

 

スポットライトを上正面から受けているので、その光の広がりとも一致しますね。

 

2.傾きの調整

 

また、ドラロッシュくらいの人なら

画面がわちゃわちゃしないよう、主要な傾きは一定数以内に収めています。

黄色い線が同じ角度。首を置く台の右側の傾きです。

緑も同じ角度。こちらも首を置く大の左側の傾き。

 

ドラロッシュは、いったんキャンバスに下書きをパーツごとに転写から

何度も何度も微調整しながら構成を決める人です。

この絵にもその痕跡が赤外線で確認されています。

たとえば、処刑人の後ろの階段や鉾の傾きは微調整されていますが

主要な人物などとの兼ね合いから、統一したものと思われます。

 

こんな秩序ある画面は、”相互調整というプロセスによって一歩一歩そこに近づく”のですね。

(by ゴンブリッチ)

 

3.斬首の暗示

 

下絵と比べると、完成作はコスチュームはシンプルになったものの

背景の描き込みが増えています。

 

左が完成作、右が下絵

 

この部分は、ブラインドアーケードと言って、浮彫のアーチが連なったものです。このブラインドアーケードのアーチが折り重なったもの(interlaced)の部分が

よりはっきりとジェーンの上側に来ています。

 

ジェーンを支える男性の、右腕から背中にかけて

ほぼ半円を描き、浮彫のアーチと相似形になっています。

しかも、毛皮の襟がちょうど折り重なったアーチと一致する。

では対称になるように反対側にも曲線を描いてV字を完成させると・・・

見事に壁の装飾の模様と同じになるのです。

 

そして、その線はジェーンの首をぴったりと切り落とします。

 

さらに俯瞰してみると、画面全体も漠然とこのゆるやかなV字を描いています。

 

浮彫のアーチも、V字の下に柱頭が来ていて

それが断頭台と呼応しています。

 

画面をじーっと見ていると、後ろのアーチに気づき(三連もある)

ジェーンの介添えが半円になってることに気づく。

すると、折り重なったアーチの形と呼応させてみると・・・

 

あ、首切れちゃう!となる・・・。

 

下絵の段階から、わざわざ変更を加えているところを見ると

きっと何かしらの意図があるはず。

そしてその意図とは、私が気づいた相似形にヒントがあるのではないでしょうか?

 

 

と、こんな感じのことを、講座では『ウルビーノのヴィーナス』を使って

汎用性のある「絵の見方のコツ」をご紹介しようと思います。

 

ということで、『レディ・ジェーン・グレイの処刑』については

まだまだ何時間でも話す事はできますが

『ウルビーノのヴィーナス』の予習に戻りたいと思います。

 

 

 


12/5講座の予習編8: 美しい比率とピタゴラス

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12月5日「見る技術」講座の予習編の続き!

 

私は前々回の講座で

「絵は半分とか、三分の一とか、四分の一とか区切りのエェとこで区切ったとこを

うまく活用して配置したり、構成したらエェんです!」と言いました。

 

↓四分の一(水色の点線)に区切って配分しているラファエロさんの絵。

 

整数比を使うと綺麗、と言ったわけです。

 

では、どうして絵を半分とか、三分の一とか、四分の一に区切ったら

美しくなるんでしょう?美しくなると信じられるのでしょう?

それは、ピタゴラスさんが言ったのが始まりでした。

 

美しいかどうか、ではなく、美しいに違いない、という信念が元だったのです。

現代では、この中でも3分の1の比率”だけ”が有名ですが

元はこれなんです。

 

では、ルネサンスの巨匠ラファエロが残した謎な図を見ながら

そのことを解説していきましょう。

 

この図は何を意味しているのか?

実は、音階を表しています。上の数字は、左から6、8、9、12。

図は、オクターブ6/12、完全4度9/12、完全5度8/12を表しているんです。

12をドとしたら、9がファ、8がソ、6がドというような関係です。

ピタゴラスは希代の整数フェチで、音階が整数比で表せることを見つけて

感動して喜んだのでした。

 

これは大変な発見だ。こんなに完ぺきなんだから

きっとこの世の真理を表しているのだろう、と。

途中から少し飛躍しましたね。でもピタゴラスさんは飛躍したとは思わなかったのです。

論理学の話で出てくる「隙間の神様」ってやつです。

 

そして、この音階を表す”比率”はこの世の真理だから

当然ながら絵画や建築も美しくするだろう・・・

と昔の人は考えたのでした。

ルネサンスの建築理論に大巨頭のアルベルティさんもそう強く信じたし

もう一人のパッレイディオさんも整数比が大好きで

二人ともいっそ建物も全部整数比にしたいと願っていました。

このピタゴラスが発見した比率は

ルネサンス絵画のほとんどを覆っています。

 

そして、現在に至るまで、この比率は意識的にも無意識的にも

あちこちに使われて続けています。

 

ラファエロの『アテネの学堂』、この絵の左下にいるのがピタゴラスさん。

↓ピタゴラスさんのアップ。

このピタゴラスさんの右側にあるボード。

 

一番上には、ギリシャ語でエポグロン(エポグドン、エポグドーン)と書いてあるのですが

どうやら日本語では解説がないみたいなので、これを機会に

説明しておこうと思います。

 

ラファエロの『アテネの学堂』ですが、これは誤字なのか

エポグ”ロ”ン(デルタΔがラムダΛに)になっていますが

下記の図のように、普通はエポグドンです。

 ἐπόγδοον (epógdoon)

 

エポグドンとはその数字の1/8だけ大きい数のこと。

9は8のエポグドンだし、18は16のエポグドン。

(ピタゴラスは17が嫌いだったそうです、エポグドンの邪魔だから・・・)

ということで、9:8の比率を意味し、”全音”と訳されています。

(ピタゴラス音階は今は使われていないので

今の音階とか音程の定義とぴったり当てはめて考えるのは難しいです。)

 

その下の方には、上からディアテッサロン、ディアペンテ、ディアパッソンと書いてあります。

ディアテッサロンが完全4度、ディアペンテが完全5度、ディアパッソンがオクターブを表しています。

この絵のピタゴラスさん、うれしいことにちょうどディアテッサロンの位置

つまり、ちょうど右から9/12(3/4)、上からも3/4の位置に描かれています。

良かったね!

 

でも・・・ピタゴラスさんは整数が大好きすぎてルート2が大嫌いでした。

整数で表せないからです。正方形の対角線がルート2だと発見した弟子なんて

溺死させられたという都市伝説もあるくらい。

 

でもね、この長方形って実はルート2矩形(縦横が1:ルート2)で、だからピタゴラスさんは

下辺、つまりルート2の上にじかに座っています。知ったらすごく怒りそう!

しかも、対角線はルート3で、ばっちりピタゴラスさんの顔を横切ってる!

ピタゴラスさんが知ったら、憤死しそう!!

 

今回は整数比が美しいと考えられた由来を説明しました。

整数の神秘に魅了されたピタゴラスとルネサンスの芸術家たちのお話でした。

 

美しいと信じられた(今も信じられている)比率は他にもあります。

それは、整数ではなく無理数の比率。それはまた別の機会に。

12月5日に「絵を見る技術」の講座をやるんです

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12月5日「見る技術」講座 残席わずかになってきました。

本当に本当にありがたいことです。

 

最初は

絵ってこうなってるんだよ、面白いのー!というのと伝えたくて始めたのですが

面白いー!と思う人が想像してたよりずっと沢山いてびっくりです。

 

例えば・・・バロックの絵って基本、斜め(↓左)、とか

1:1.6の比率の長方形だと、対数螺旋意識した構図(中央)だよね、とか。

大事なものの位置を決めるには、何らかの原則があるよね、というような話です。

絵画の背景情報とか、図像解釈とか、画家の個人的なエピソードじゃなく

”絵そのもの”を見る技術。それを一人でも多くの人が知ったら

世の中のいろんなものを「見る」のがもっと楽しくなるんじゃないか、と思います。

構図とか、絵具の材料とか、技法とか、そういう”絵のフィジカルな要素”を通して。

 

そりゃ、歴史上の名画と言われるものには、きっと語りつくせない、語りえない価値や魅力があるでしょう。

だからといって、理解可能な絵具の成分や、測定できる構図上の工夫にまで沈黙するのはもったいない。

 

いくら言葉を尽くしても、伝えることも分かることもできないような、そういうものもある。

だからといって、それを、ほんの少し努力したり、工夫したり、言葉を尽くせば伝わること、

分かり合えることまで諦める言い訳にしたくないのです。

 

講座用には、じっくり見る甲斐のある名画中の名画だけを選びました。

名画は情報量が多いので、話す事も多くなりますが、学ぶことも多く、それだけ面白いです。

とにかくゴシップも含めて、ネタが豊富。

私はものすごく面白いと思うことばかりなので、それが伝わるといいなと思っています。

申し込んでくださった方は、リラックスして楽しんでください。

分からないことはどんどん聞いてくださいね。

 

おまけ:

 

↓こういうのは分かりやすい。見た目もコンセプトもほぼ変化なし。

一番左が紀元前2世紀のもの(の紀元2世紀のコピー)、真ん中が16世紀、右側がヴィクシー。

 

前回言い忘れましたが、「アテネの学堂」の上側の円について。

中心はこの長方形の短辺を辺にもつ正方形を右からと左からと作って

その対角線が交わるところです。ぴったり。

この正方形を作ることをラバットメントと言いますが

この方法で(向きは上下逆だけど)アングルの「グランド・オダリスク」も円を描いています。

こうなってるんですよ。

そしてプラトンが持っている本は『ティマイオス』、比率の話をしている本です。

 

美術ニュースこぼれ話

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ダ・ヴィンチ作と思われる(可能性がある)絵が過去最高額で落札されました。

 

この絵をめぐって、今年メトロポリタン美術館を退任した前館長トーマス・キャンベルの

インスタグラムの投稿が炎上しています。

Art Newspaperの記事より。

 

 

ご覧のとおりの修復前の絵を出し、以下の投稿。

 

thomaspcampbell450 million dollars?! Hope the buyer understands conservation issues... @christiesinc #leonardodavinci#salvatormundi #readthesmallprint

 

”4億5000万ドルだって?!買った人は修復問題を知ってるといいけど。”

 

という投稿。

修復の問題だけだろうか・・・と思いますが・・・。

”ひどい、すごく優秀な修復士さんなのに、ひどく言うなんてひどい”

”メトロポリタン美術館時代、あなただってお世話になった人でしょう”

とかの批判です。

 

↓以下の記事に、過去のダ・ヴィンチ作じゃないかという疑いのある作品について

メトロポリタン美術館のバンバック、UCLAのペドレッティ、オクスフォードのケンプの見解の違いを

2年前にまとめておきました。

ダ・ヴィンチ作の真贋をめぐって3人の研究者がいつも意見が違う。

 

今回の作品は、三人のうちケンプしか認めていないけど

ケンプは「美しき姫君」も真作だと言ってました。

キャンベルがかつて勤めていたメトのバンバックは部分的にはダ・ヴィンチかも・・・

という消極的な認め方。

ペドレッティは真作ではないと言っています。

この議論について、さらに詳しいことを知りたい方は、

ART NEWS の記事を参照してください。

 

まぁ、そんな世界です。

来歴がしっかりした絵のありがたさを噛み締めましょう。

私個人の感想としては、前にロシアの富豪が買ったとき

こりゃぁダ・ヴィンチじゃないだろうと思って見てました。

そして多くの人がそう思っていたと思う。

なんなら上記の論争が起きた3枚全部、そういう目で見られてたのではないかと。

 

大学院時代、クリスティーズのカタログを見ながら「本物OR偽物」という授業を

受けたことがあります。先生はいま、ナショナルギャラリーの学芸員に。

本当の事を言った人が干された話など聞いたり・・・いい授業でした・・・。

 

ちなみに、この絵まで最高落札額記録だったのが、1億7940万ドルだった

ピカソの「アルジェの女」。↓この絵。

アメリカでも報道されましたが、FOXというTV局は

女性のヌードを写さない姿勢が非常に強いことで知られています。

そのFOXがとった苦肉の策が以下の通り。

 

ぼかしを入れました。

取りこぼしがありません。

そこも胸だったの?!と思うところまで消しています。

 

しかし、惜しかった。

画面左奥の悩ましい女性。

 

明らかに下半身がむきだし。

そして、FOXはこんな致命的な露出にぼかしを入れ忘れています。

 

残念。

 

12/5講座の予習編9:黄金比は絵画を美しくするが、唯一絶対ではない

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アメンバー限定公開記事です。

12/5講座の予習編9:黄金比は絵画を美しくするが唯一絶対ではない

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12月5日に申しこんでくださったかたも

ちょっと興味を持ってくださったかたも

 

数日中に、講座の予習編として

ティツィアーノさんはピタゴラスさんの整数比を知っていた証拠はあるのか?!

をアップしたいと思います。

 

証拠はあるんです。

というか、何度も言うようにルネサンス時代の常識に近いものだったのです。

 

今回は、ティツィアーノさんの絵そのものの話からは遠くなるな・・と思いますが

確実に関係していて、当日話す余裕がなさそうなので、ここで述べておきます。

 

黄金比(黄金分割)原理主義たちによる誤解の蔓延

 

なんでこんなに説明が必要になるかというと・・・

19世紀の終わり頃からなぜだか黄金比を信奉する学者が出てきて

彼らなりの信念のために、結果、現代において絵画に関する誤解が生まれてしまっているからです。

 

彼らは旧時代を否定し

ついでにまとめて旧時代を支配していたピタゴラス=プラトン的世界を否定し

紆余曲折があって黄金比こそが絵を美しくすると信じました。

それ自体は間違いじゃないです。

確かにそれで成功している絵も沢山ありますし、中世では特に人気の比率でした。

 

例)↓左側のカラヴァッジョさんと真ん中のポントルモさんの絵は、1:約1.6の黄金長方形。

カラヴァッジョは対角線に直交する線を用い(ちょうど正方形と黄金長方形に分割する)

ポントルモは黄金螺旋の構図にして成功しています。それもこれも、枠と部分が連動しているから。

右のモローは、ふつうに整数比を使っています。二分の一、三分の一が使われています。

 

しかし、彼らはその考えを過剰に敷衍し

”だから過去の名画も名建築も、全部きっと黄金比を使っているはずだ”という論理の飛躍を見せました。

 

後件肯定の虚偽、という誤謬であり詭弁です。

ルネサンス以降は整数比が絵画や建築で好まれていたのに

無理やりに黄金比、もしくはその子分であるルート矩形が使われているに違いない

と信じて無理やり解釈しようとしました。

 

結果、整数比が用いられていた事実が軽視されてしまう、という弊害が起きたのです。

 

ここで整理しておきます。黄金比もルート矩形も”無理数”が特徴で

整数比とはそこが根本的に違うところなんです。

無理数VS整数、みたいな対立が起きたのです。

不毛です。

 

 

フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラの正面。恐ろしいほどに整数比。

黄金比の入り込む隙間なし。

 

黄金分割讃美者の考えはこう。

黄金比は自然界の美を表していて、絵も美しくする。

ダ・ヴィンチの絵は美しい。

ダ・ヴィンチの絵は黄金比を使っているに違いない。

 

というような論法。

「すべての魚は脊椎動物である。人間は脊椎動物である。よって、人間は魚である」。

くらいの飛躍しています。魚は脊椎動物である、というのは逆が成り立たないのです。

 

ダ・ヴィンチは黄金比を使うか?

 

ダ・ヴィンチの絵でも下にある『受胎告知』はルート5矩形で

黄金比と相性がよく、画中にも黄金比(黄色い線で示した)が確かに用いられています。

画面の枠組みが1:ルート5の長方形は
図のように中央に辺が1の正方形(水色の線)を置くと
両脇に黄金長方形が出来る。まず、こんな風に黄金比を内包した枠組みをチョイスしているのです。

絵の中に黄金比を取り入れると、長方形の特性と合致し部分と全体が調和する。

でも普通の整数比や長方形の骨組(赤い線)も用いられているのをお忘れなく!!!


 

しかし、「モナ・リザ」を含め

他の絵では黄金比を使った形跡はありません。

主に、長方形を整数比に区切った縦横斜線が用いられています。

使ってないんです。世の中に出回っているあれ、適当なウソです。

パルテノンの話も、適当なウソ。

ひどいときなんて、絵を横だけ引き延ばしたりして黄金長方形にしたり、

適当なところで線を引いて区切って黄金長方形だとか言ってる。

完全な誤りです。

 

↑この本でも、モナ・リザの中に無理やりに黄金比を見出すことに苦言を呈していた(と思う、この本だったと思う。)

 

黄金比が素晴らしいことを証明したいがために

かえって貶めるようなことが起きて、今も俗信としてあちこちに残っています。

 

西洋の名画はすべて黄金比、こんな考え方は19世紀以降~20世紀初頭に生み出された俗信です。

正確に言うと、名画の中には黄金比を活用したものもある。

そして別の比率体系を活用したものもある。

どの場合も、全体と部分の関係を意識しながら決められたものだ、ということです。

どれが優位って事じゃないんです。

 

黄金比って言っても近似値だからね

 

そもそも黄金比を使ってる場合だって、せいぜい近似値の8:5で、こんなの

数学をやってる人からすれば「円周率を3」って言うような感じのもの。

それを黄金比と言っていいのか、という問題もはらんでいます。

 

それに、8:5なら整数比です・・・・。そんな感じなんです。

 

過去の名画で黄金比を用いたものもありますが、そうじゃないものもある。

黄金比は西洋絵画における唯一絶対じゃない。

デューラーなんてイタリア旅行前は黄金比をよく使っていたけど

帰国後はイタリア風に整数比を使うようになっています。

 

では、8:5の比率も使う、というのと、黄金比を中心に構成するのと

どう違うかと言えば、下の図に示してみました。

デューラーの初期の絵は左のような構図が多い。黄金比を中心に展開していく構成。

一方、ダ・ヴィンチの受胎告知などは、右側の8:5の比率も使うが、他の比率も同時に使っている。

見た目の印象はずいぶん変わります。

ちなみに、フェルメールの一部の絵は、左の構図を使っています。

 

では、いったいどうして、こんな誤解がはびこるのか・・・

それは、人が「これさえ信じておけばいい」という単純な答えを求めがちだから

これが絶対!という意見に飛びついてしまう傾向があるからです。

 

これさえ飲んだら痩せます、という薬を飲みたがるのと同じ。

これさえ食べたら健康になります、という怪しい食品に飛びつくのと同じ。

これさえやっておけば、これさえ信じておけば・・・・

 

単純な答え、分かりやすさ、そういうものに飛びつくと

複雑なものを理解できなくなります。

複雑なものを自分の信念に合わせて捻じ曲げるようになります。

 

 

黄金比も、白銀比も、整数比も、すべて、全体や他との兼ね合いで調和が取れていれば

美しいし、面白いのです。

 

Wittkower, Rudolf. “The Changing Concept of Proportion.” Daedalus, vol. 89, no. 1, 1960, pp. 199–215. JSTOR

 

 

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